NIACIN
ビリー・シーン - ベース
ジョン・ノヴェロ - ハモンドB3、ピアノ
デニス・チェンバース - ドラムス
ナイアシンは驚くほど自然なコンビネーションで、
3人のワールドクラスのミュージシャンが共通の音楽分野と視野をわかちあう上で、
様々な主義主張の中から生まれたバンドである。
彼らに共通する土壌はロックとジャズとファンクを合わせたような
フージョンという独特の新境地であり、それは洗練されてモダンながらも、
70年代初頭の昔ながらの血の通ったサウンドにしっかりと根ざしている。
70年代初頭といえば、3人のプレイヤーがミュージシャンとして精進し、
当時の名プレイヤーを研究しては、自らの腕を磨いていた時期である。
これは通好みのスーパーグループを創ろうという実験ではない。
それどころかこのバンドは、
しっかりしたメロディ構造を持った独特のインストゥルメンタル・アプローチをする、
本質的に力のあるトリオなのだ。
インプロヴィゼイションしたり、
作品の1つ1つがリスナーにわくわくするような時間を提供する、
エキサイティングで新しいサウンドとテクスチャーへと互いを導いていく余裕が、
ミュージシャン一人一人にたっぷりとある。
楽器の組み合わせもプレイヤーと同じくらいユニークだ。
ビリー・シーンはロック・ベースの名手として不動の地位を獲得し、
当然のごとく高い評価を得ている。
コンテンポラリー・ジャズの多才なキーボード奏者、ジョン・ノヴェロは、
誰も目をつけなかったヴィンテージのハモンドB3をほとんど信仰ともいえるほど
愛してやまない。
ドラマーのデニス・チェンバースは偉大なドラマーの一人であることは
まず間違いなくファンクやジャズといった分野で活躍してきた人だ。
このプレイヤーたちがどのように出会い、
この想像力に富んだコンセプトを思いつき、
共通の音楽分野を探るようになったのか、といのうは興味深い話である。
ハモンドB3は見ればそれとすぐにわかる、
最も多岐にわたって使用されるキーボードである。
その素晴らしいデザインが創り出す音色や響きは、
いかなる電子シミュレーションやコンピュータ技術をもってしても
再現することができない。
ヴィンテージのB3は息をしてむせび泣く音楽の怪物で、
アンプにつなぐことができる他の楽器と同様にへヴぃな音もだせるし、
とても上品で微妙な音を出すこともできる。
60年代後期から70年代初頭にかけての、
ロックのジャムセッション全盛期においては目立つ楽器であった。
「あいにく、この楽器は人気が落ちてしまってね」
とキーボード奏者のジョン・ノヴェロは語る。
「でも僕はいつだって自分の(ハモンド)にかじりついていた」。
「あの頃は音楽にとって素晴らしい時代だった」、
ドラマーのチェンバースに当時影響を受けたバンドについて尋ねたところ、
次のように話してくれた。
「あの時代のバンドは本物のロッカーで、
機会さえあればジャムセッションをしていた。
彼らはいい音楽を創るために音楽を作っていた。
レコード会社を喜ばせるためじゃなくてね。純粋だったのさ」。
これこそがナイアシンのベースとなる、時代を越えた音楽的コンセプトである。
ジョン・ノヴェロは初め、
ペンシルヴァニア州エリーのCJブリというバンドで、
ブルーズ・オルガン奏者として知られるようになった。
そのバンドが解散すると、ジョンはその時代の偉大なバンドに夢中になり、
焦点はロックへと移っていった。
同じ頃、エリー湖の周辺で、バッファローのビリー・シーンもまた
バンド活動で注目を集めていた。
ジョンはかの有名なバークリー音楽大学に通い、
完璧な音楽教育課程を遂行するという、王道を歩んでいた。
その後すぐ、彼は数多くのレコーディングやセッションをおこなった。
チック・コリア、マーク・アイシャム、マンハッタン・トランスファー、
ドナ・サマー、ラムゼイ・ルイス、ヒューバート&ロニー・ロウズといった、
世界中の偉大なミュージシャンと彼は共演してきたのだ。
彼はまた5作のソロ・アルバムをレコーディングし、
音楽映画を手掛けたり、教則本やビデオも製作した。
ニューヨーク州バッファローのガレージから頭角をあらわした
ビリー・シーンはまずタラスを結成、
東部のいたるところに熱狂的な信奉者を抱え、
ヴァン・ヘイレンのライブの前座を務めたりした。
そこでデヴィッド・リー・ロスに目をつけられ、
後に、デヴィッド・リー・ロスのソロ活動の主要メンバーになってくれるよう
頼まれたのである。
ロスと組んで2枚のプラチナ・アルバムを残したビリーは、
Mr. Bigの結成に加わり、やはりマルチ・プラチナに輝く成功をおさめ、
'To Be With You'はナンバー・ワン・ポップ・シングルとなった。
ビリーは世界一のロック・ベース・プレイヤーとしてロック部門の
人気投票を総なめにし、既にギター・プレイヤー誌の
ギャラリー・オブ・グレートに選ばれている。
デニス・チェンバースはファンクやジャズといった音楽分野から登場、
引く手あまたのドラマーとして、
ファンカデリック/パーラメント、ジョージ・クリントン、
ブレッカー・ブラザーズ、ジョージ・デューク、
デヴィッド・サンボーン、CTIオールスターズ、
P-ファンク・オールスターズ、ジョン・マクラフリン、
他多数のミュージシャンと共演してきた。
この3人の驚異的なミュージシャンが、
かつて一度も共演したことがないのに、
いかにしてナイアシンになったのだろうか?
ビリー・シーンはヴォーカル・コーチを探していた折、
LAのストリート・マガジンの広告を読んだ。
「ある日、ビリーがうちに電話してきたんだ」、ジョン・ノヴェロは振り返る。
「ミスター・ビッグのメンバー達がヴォーカル・インストラクターを探していて、
僕の妻に電話があり、レッスンに来るようになった。
ある日、なんとはなしにビリーと僕は話していて、
たまたま僕のメインの楽器がハモンドB3だってことを口にしたんだ」。
ビリーは、目を輝かし、こう言った。
「僕はハモンドが大好きでね、
ハモンド・プレーヤーのいるバンドに入りたいと前から思っていたんだ」。
ノヴェロは言った。
「じゃ、たまに一緒に演ろうぜ。けど、しばらくは何もなかった。
そして数年前、NAMMコンヴェンションでビリーに、
今度ギター・ワールドっていうコンピレーションに参加するんだけど、
膨らませたいリフがあるって話をされて、
よかったらその曲で演奏してみないかと訊ねられてね、
でもってそのタイトルが'Niacin'だったというわけ。
パット・トーピーがセッションをしにきて、凄い盛り上がりだった。
2カ月後、ビリーは僕の家にセッションをしに来るようになり、
すぐに20曲ができ上がった」。
ビリーとジョンはこの、もの凄いベース・プレーヤーはいるが
ギター・プレーヤーはいない、
ハモンドB3のバンドというコンセプトに従うことで意見が一致した。
このプロジェクトのためにドラマーを見つけなくてはという段になって、
二人が望んだのはジャズ・プレーヤーであった。
彼らの音楽が発展していく方向がフージョン/ロックだったからである。
「僕はビリーに訊いたんだ」、ノヴェロは振り返る、
「『ドラマーで最悪なやつは誰だ』ってね。
そして僕らの口から同時にでた名前が『デニス・チェンバース』。
僕らはデニスとプレイしたことはなかったけど、
とにかくあまりの素晴らしさにしびれてしまったよ」。
ビリー・シーンにしても、時と場所は違うが、同様の経験がある。
「初めてビリー・コブハムを見たときは、感きわまったね。
ベース・プレーヤーとして、僕はまずドラマーに目がいってしまう。
ある晩、バディ・リッチ・トリビュート・コンサートを観ていたら、
もうばからしいほど、デニスは他の演奏者たちを圧倒してしまっていた。
数年前にビリー・コブハムから受けたのと同じ感動を、彼は僕に与えてくれた。
彼から受けた感動のほうがもっと大きいくらいだった。
彼と一緒にプレイできるなんて、とてつもなく名誉なことだよ」
「僕らがデニスと組むようになったいきさつには種もしかけもないし、
特別なタイミングやマスター・プランもなかった。
彼のマネージメントに電話をかけたら、
たまたま僕らがレコーディングしたかった、
その週に彼のスケジュールがあいていただけのことさ。
僕らはみんなちょうどいい時間にちょうどいい場所にいたんだ」
ここでデニスが話に加わった。
「僕はジョンもビリーも、二人とも何者なのか知っていたんだ。
ジョンのほうがよく知っていたけど、
プレーヤーとしてビリーを絶賛する友達がいてね。
組んでみて、すごく感動したよ。
そのプレイから、彼は偉大なプレーヤーすべてに耳を傾けていて、
それだけの情熱をもっているってことがわかった。
自分の技を研究していないと、あんなフレーズは弾けないよ。
僕は彼らのデモテープを聴いて、一週間で曲を覚えると、
アルバム製作に飛び込んだ」
「リハーサルはせずに、セッティングするといきなり演奏に入り、
僕はそれがすぐに気に入った。
だって音楽の構造からいえば、ほとんどどうにでもできるんだから。
ビリーもジョンもまったく僕の好きなようにやらせてくれた。
僕が何かアイディアを言えば、いつだって『それいいじゃない』。
僕らはリズム・トラックを全部一発録りした、
それもほんの数テイクだけ。
音楽はこうして作られるべきだね」
このナイアシンのアルバムは
ロサンジェルスのマッド・ハッター・スタジオでレコーディングされ、
ビリー・シーンのプロデュースで、
ジョン・ノヴェロが共同プロデューサーとなった。
及第点をとり、アルバムに収録された14曲で、
とてつもなく素晴らしい音楽を幅広く楽しむことができるが、
それでもなお強調されるのは、古き良きサウンド、感覚、
そしてミュージシャンシップである。
「'No Man's Land'や'Do A Little Dirty Work'がノリを良くしてくれる」とシーン、
「でも僕が特に気に入っているのは'I Miss You (Like I Miss The Sun)'。
タイトルはデイブ・メイソンの曲('Look At You Look At Me')の一節で、
その曲はジョンにとっても僕にとってもすごく特別なレコードなんだ」。
バンドのクラシック的側面への傾倒は、
イゴール・ストラヴィンスキーの「春の祭典」へのアプローチに表れており、
ナイアシンはこの古典をフージョンにし、
デビュー・アルバムの収録したのだが、
洞察力のあるリスナーはそこにクリームやバニラ・ファッジ他、
まったく独創的なバンドの影響を感じるだろう。
このアルバムのグルーブにはマジックが、ミステリーが、
そして心地よい楽しさがある。
バンドの名前にもちょっとした洒落がきかせてあるくらいだ。
ナイアシンとはビタミンB3のこと。
ジョン・ノヴェロのお気に入りのハモンドといえばB3。
この関係に気付いたかな?
ビリー・シーンは依然としてMr. Bigで活躍中だし、
ジョン・ノヴェロとデニス・チェンバースも助けっ人として、
相変わらず引っぱりだこだ。
ナイアシンは彼らの遊び場であり、
変化のない平衡状態にはつきものの不自由さを、
そこでは無視できるのである。
「僕らがプレイする時」、ノヴェロは語る。
「音楽面での妥協なんてこれっぽっちもしない」。
ミュージシャン同士が認め合う自由は、メンバー3人を可能性へと駆り立てる。
「このバンドの在り方そのものが気に入っている」とドラマーのチェンバースは語る、
「あいつらと全力を尽くすのが待ち遠しいよ」。
思いはみんな同じであり、
3人のプレーヤー全員のスケジュールにようやく空きができたなら、
地球全体が感動に包まれることはまず間違いないだろう。